フォービズムとは?特徴や有名な作品、日本への影響までわかりやすく解説

フォービズム

概要

感覚や感情を色彩で表現することを重要視した絵画運動
年 代 1905-1908年
地 域 フランス
創始者 アンリ・マティス、アンドレ・ドラン
特 徴 感覚重視の色彩(原色を多用)・激しいタッチ
題 材 風景画が多い
受影響 ポスト印象派・新印象派

「野獣(フォーヴ)」のような絵画

フォーヴィスムのフォーヴ(fauves)とは、野獣という意味で、日本語への直訳は「野獣派」です。

批評家がフォービズムの画家たちの強烈な色彩表現に驚き、それらに囲まれて展示されていた古典的な彫刻作品を「フォーブ(野獣)に囲まれたドナテッロ(※ドナテッロはルネサンス期の彫刻家)」と評したことから、フォービズムと呼ばれるようになりました。

感覚重視の色彩表現

フォーヴィスムは、「色」にも表現の自由があると考え、モチーフ個々の持つ色(固有色)でなく、色彩の持つイメージで描くことで、感情や感覚を表現しようとしました。

「写真のような忠実な色」を表現しようとした、これまでの絵画の色彩表現とは全く違い、フォービズムの画家たちは「心が感じる色」を表現しようとしました。

結果として、明るい強烈な色彩や激しいタッチの作品が多数出来上がりました。

ちなみに、フォーヴィスムはキュビスムと年代も近く、一見似ていますが、キュビスムが「形」の革命に対し、フォーヴィスムは「色」の革命と言われています。

アンドレ・ドラン 1906年 Charing Cross Bridge, London (出典)

わずか数年で終わった芸術運動

フォーヴィスムの作品たちは1905年にパリで開催された展覧会「サロン・ドートンヌ」で注目を浴び、一気に世に広がりました。

しかし、フォーヴィズムとしての活動は3年ほどで、それ以降フォービズムの画家たちはそれぞれ別の道を歩むこととなりました。

フォービズムの中心人物であったマティスも激しい色遣いから古典回帰したやや調和的な色遣いへと画風を変えていきました。

フォービスムの有名な画家

アンリ・マティス

ダンス アンリ・マティス 1910年エルミタージュ美術館

マティスは裕福な商人の家庭に生まれ、裁判員になるべく学問に励んでいましたが、虫垂炎で入院中にアマチュア画家であった母から絵画を書くことを勧められ、画家の道に進み始めました。

マティスはルオーなど共にエコール・デ・ボザールでギュスターヴ・モローに学びました。

モローは象徴派の画家で、象徴派は不安や運命など目に見えないものを象徴的に描こうとした画家集団でした。彼の絵画はマティスやルオーらの画風とは全く違いますが、モローは彼らの個性や才能を尊重し伸ばす教育に徹しました。

マティスはポスト印象派や後期印象派、特にゴッホの色彩やセザンヌの構図などに影響を受けながら、自然から受ける感覚を色彩で表現しました。

フォービズムの活動後は、南フランスに移住し、キュビズムの影響を受けつつ独自の色彩を追求し、晩年には絵の具を塗った紙を切り貼りする切り絵の技法で描いたことも有名です。

赤のハーモニー

赤のハーモニー アンリ・マティス 1908年エルミタージュ美術館

マティスの最高作とも評される作品。

制作当初は緑で描かれていましたが、気に入らなかったため青に、また赤にと本人によって二度塗り替えられました。

本人は赤に塗り替えたことでより美しくなったと語っています。

変更の理由について、マティスは「青では十分装飾的でなかった。」と述べ、「前のままでも美しかったが、赤に変えてはるかに美しくなった。」と語った。

https://www.musey.net/5743

卓上に置かれた果物などは、セザンヌの影響を見ることができます。

フォービズムの日本への影響

年 代 1912年~
先駆け 萬鉄五郎(よろずてつごろう)など
流 れ ポスト印象派の影響が強い
分 類 フウザン会・二科展など
特 徴 感覚重視の色彩(原色を多用)・激しいタッチ

日本のフォービズムの先駆者 萬鉄五郎

裸体美人〈萬鐵五郎筆/油絵 麻布〉 文化遺産オンライン
 緑の野草が生い茂った丘の斜面に、下半身を朱衣で覆った裸婦が手前に足を向け、左手枕に横臥している。裸婦は左側を下に両足をほぼ揃えて軽く膝を曲げるが、右手は肘と手首を屈しぎこちなく右腹の上に乗せる。丘の向こうに遠景と空が広がる。丘の上を越え...

【外部リンク】裸体美人 萬鉄五郎 1912年 東京国立博物館 重要文化財

日本の絵画史で最も早くフォービズムを取り入れたと言われる作品は萬鉄五郎の裸体美人(1912年)です。

萬は当時、雑誌などで取り上げられるようになったマティスなどフォービズムの画家たちの表現を取り入れ、東京美術大学の卒業制作でこの作品を制作しました。

萬鉄五郎はキュビスムをいち早く取り入れた人物でもありました。彼は当時の最先端芸術に敏感に反応し、学んでいました。

フウザン会

フウザン会とは、岸田劉生や萬鉄五郎を中心として設立した、後期印象派やフォーヴィスムに影響を受けた画家集団です。

フウザンとは「木炭」という意味。1912年に日本で初めてフォーヴィスムに影響を受けた作品を集めて展覧会を行いました。

フウザン会はわずか9か月ほど、たった2回の展覧会の後解散することになりますが、日本で起こった初めての表現主義的な美術運動だったことから、美術史的には重要なムーブメントとなりました。

本場フランスで学んだ坂田一男・宮坂勝

坂田一生と宮坂勝は1920年代に渡仏し、フォービズムの画家であるオトン・フリエスの元で当時最先端の表現を学びました。

宮坂は1927年、坂田は1933年に帰国後、それぞれ独特の抽象絵画を制作しました。

宮坂勝と石井柏亭 ―二人の画家と松本と―
宮坂勝と石井柏亭。作風の対照的なこの二人の画家は、信州の戦後美術を興隆させた立役者でもあります。今回のコレクション展示は、一部ご所蔵者からのお貸出いただいた作品も特別出品し、二人の画業を改めて顕彰するものです。…

【外部リンク】松本市美術館 坂田勝展 展覧会写真2枚目の作品「上高地六百岳(1928年)」はフォービズムの影響を受けたことが分かる。

コメント

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