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概要
生没年 不詳
時 代 南宋(1127-1279年)末期から元初期
居住地 中国
分 類 水墨画・唐絵
代表作 観音猿鶴図・瀟湘八景図
特 徴 湿潤な空気感・大胆な筆遣い
与影響 長谷川等伯など
牧谿は、13世紀後半の中国南宋末元の僧で、日本で最も高く評価された水墨画家の一人です。
牧谿の作品が日本にやってきたのは鎌倉時代末期(1300〜1333年)。
彼の作品は、のちの水墨画に大きな影響を与え、また日本の水墨画界で最も高く評価されてきました。
特徴は「湿潤な空気感」
牧谿の作品の特徴は、ターナーの作品のような空気の潤いを感じるしっとりとした描き方です。
牧谿は墨と筆のみで、光の差し込む様子や霧がかかる大気の雰囲気を表現しました。
長谷川等伯をはじめ室町時代以降の水墨画界に大きな影響を与えた
牧谿は室町時代以降の水墨画界に大きな影響を与え、多くの画家に影響を与えました。
その影響は、贋作が大量発生するほど、また「和尚(おしょう)」といえば牧谿、といわれるほどだそう。
そのなかでも長谷川等伯は、牧谿を最も熱心に学んだ絵師としても知られています。
(写真) 松林図屏風 国宝 長谷川等伯 156.8×356.0cm 東京国立博物館
「松林図屏風」は、彼の牧谿からの影響を受けた作品の中でも特に秀逸な作品として知られています。
等伯はこの作品を描くために、藁でできた筆や、洗わずに硬くなってしまった筆を使って粗さを表現したと言われています。
中国ではあまり評価されなかった
牧谿は日本水墨画界に大きな影響を与えた人物でしたが、中国では生前こそ評価されるものの死後は忘れられる存在でした。
その背景としては、牧谿のような院体画(伝統を重視した写実・精密な絵画のこと)は後の世で低く評価されたことが原因だと考えられています。
中国で衰えた院体画が日本で流行
中国では伝統を重視した写実的で精密な院体画の代わりに、文人画というもともとは武士が余技(趣味)として描き始めた自由な画風が高く評価されていきました。
日本では輸入当時主流だった院体画家の作品が輸入されたため、牧谿など院体画家の作風が狩野派などをはじめとした画家たちに影響を与えていきました。
文人画が栄え始めた中国明代後期、1467年に中国へ渡った雪舟は、当時主流の文人画を学べる機会があったにもかかわらず「明の画壇に見るべきものはない」と言って、その前の宋・元の時代の院体画家、特に夏珪や李唐といった画家の作風を模倣したそう。
現在、牧谿が描いたとされる作品のほとんどは日本にあり、国宝や重要文化財に指定されている作品も多くあります。
有名な作品
漁村夕照図(ぎょそんせきしょうず)
夕闇迫る漁村の風景を見事に描いた作品。
「瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず)」という中国江南地方の8つの景色を描く有名な画題で、8図あるうちの1図。
足利義満が所有していたとされています。
煙寺晩鐘図(えんじばんしょうず)
漁村夕照図と同じく中国江南地方の8つの景色を描く有名な画題「瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず)」の8図あるうちの1図。
観音猿鶴図
三幅対(3つで1つのセット)の掛け軸。中でも右の猿は、牧谿のモチーフの中でも特に人気なモチーフ。ふわふわとした可愛らしい毛並みで、愛着が湧きますね。
猿のモチーフは長谷川等伯が特に好んで模写したモチーフであり、彼の作品にも牧谿の表現に似た猿がよく出てきます。
【外部リンク】枯木猿猴図 長谷川等伯 各155.0×115.0 cm 龍泉庵重要文化財
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