円山応挙とは何者?わかりやすく解説します

円山派

概要

生没年 1733-1795年
時 代 江戸時代中期から後期
居住地 京都 農家に生まれる
分 類 円山派
代表作 国宝「雪松図屏風 」
特 徴 写生重視・輪郭がない
技 法 没骨法(もっこつほう)・片ぼかし
与影響 京都画壇(上村松園・竹内栖鳳など)

知識なしに見れる「わかりやすくうまい絵」

応挙の絵のすごさは、誰が見ても「上手い」絵だったこと。

これまで日本絵画界の中心として君臨し続けた狩野派の絵画は、大量制作に耐えられるよう形式化していったため、描き方や構図は先代の絵師の模倣することが多く、鑑賞するにはこれまでの狩野派に関する知識が必要でした。

それに対して、応挙の絵は知識がなくてもわかる「上手い」絵だったため、これまでの狩野派の画風に飽きていた人々や狩野派に関する知識のない人々に人気となりました。

何度も写生(スケッチ)して描いた

応挙は実際の動植物を何度も写生(スケッチ)して作品を制作することで、これまでの形式的な絵画より本物らしく描くことができました。

応挙のように写生を元に描く絵師は珍しく、これまでは師匠の絵の模倣して描くことが主流だったため、応挙は師匠の絵を模倣した絵画よりも動植物を生き生きと、本物らしく描くことができました。

応挙が写生を元に制作していた背景には、応挙は貧しい農村で生まれ、ほぼ独学で絵を学んでいたことが挙げられます。

写生帖 文化遺産オンライン
応挙は、自然観察を重視し、平明で親しみやすい写生的な表現によって京都を中心に人気を博した。当時、博物学的関心の高まりとともに写生図が流行し、応挙も多くの写生図を制作している。これらは、図中の干支などから、1770年代頃に描かれたとみられる...

【外部リンク】写生帖 東京国立博物館蔵

応挙は常に写生帖を持ち、暇さえあれば動物・昆虫・植物などをあらゆる角度からスケッチをしていました。

後に、狩野派の絵師である石田幽汀に師事するなど、様々な流派の伝統技法を学んで自分の絵画に取り入れ、現代では伝統絵画に写実性を取り入れた人物として評価されています。

孔雀図 1781年 (引用元)

眼鏡絵で西洋風の遠近法を学ぶ

眼鏡絵とは、「のぞき眼鏡」という装置を通して見る絵のこと。

凸レンズでできたのぞき眼鏡を通して見る絵は立体的に見え、外国からやってきた新しい眼鏡絵は江戸時代後期に流行しました。

10代で玩具屋に奉公に出た応挙は、当時需要のあった眼鏡絵の制作を行うことで、西洋風の遠近法を独自に学びました。

反射式のぞき眼鏡 - 神戸市立博物館

【外部リンク】神戸市立博物館 反射式のぞき眼鏡

「反射式覗き眼鏡」から見た眼鏡絵
「The Ukiyo-e 歌川派 豊春から国芳、広重まで」が現在、大分県立美術館OPAM(大分市寿町2、TEL 097-533-4500)で開かれている。

【外部リンク】大分経済新聞 「反射式のぞき眼鏡」から見た眼鏡絵

https://artsandculture.google.com/asset/megane-e-a-residence-maruyama-Ōkyo/8gGApCxvB_ZYlw?hl=ja&avm=4

【外部リンク】Google arts & culture 円山応挙の眼鏡絵

リアルなのに抽象的

もう一つの特徴は、スケッチを基にしたリアルな絵画なのに、一筆でサッと描いたような抽象的な絵が多いこと。

応挙はスケッチを何度も重ねる中で、モチーフの形や動きの特徴を掴み、簡略化して描きました。

少ないタッチで描かれた絵は余白を与え、動きがあり生き生きとしているように見えます。

雪中老松図 円山応挙東京国立博物館国宝(引用元)

筆のタッチが荒く、一筆でさっと描いているように見えますが、遠目で見ると立体的でリアルです。

周茂叔愛蓮図(部分) 狩野正信  九州国立博物館 国宝 (引用元)

狩野派の作品。こちらのほうが時間をかけて丁寧に描いているように見えますが、応挙のほうが写実的です。

没骨法で生き生きと描く

没骨法(もっこつほう)とは、輪郭を書かず、初めから色と形を描く技法。

従来の輪郭を描く鉤勒法(こうろくほう)では、輪郭を丁寧に描くため、線の洗練さと引き換えに生き生きとした新鮮さはなくなっていました。

没骨法で描かれた木。ざっくり描いたような勢いが躍動感を感じます。輪郭がないため立体的に感じられます。 (引用元)
鉤勒法で描かれた木の幹。構図が美しく洗練されています。木の力強さが強調されますが反対に立体感は損なわれます(引用元)

応挙は、輪郭をあえて描かないことで線を生き生きと描くことができました。

また、輪郭を描く手間が省けたため、制作時間も短縮することができました。

没骨没は、現代では鉤勒法(こうろくほう)とともに東洋画の二代技法と呼ばれていますが、その技法が形となったのは中国宋時代。日本へは室町時代頃に渡ってきた当時にしては比較的新しい技法でした。

現代では応挙ら円山派が得意とした技法としてよく知られています。

片ぼかしで陰影・立体表現

片ぼかしというのは、名前の通り片方をぼかす技法。

没骨法の一種で、一筆で陰影をつけることができるため、立体感や遠近感を出すのに向いていました。

[ID:33] 狗子図 : 資料情報 | 収蔵品データベース | 敦賀市立博物館
敦賀市立博物館の所蔵品(コレクション)の検索システムです。当館収蔵の絵画作品や歴史資料をご覧いただけます。

【外部リンク】狗子図(くしず) 1778年 45.2×64.4cm 敦賀市立博物館

背景を片ぼかしで描いた作品。雪の積もる地面を一筆で見事に表現しています。

片ぼかしは真ん中の犬にも使用されており、形や模様、立体感を感じることができます。

類を見ない画法で一躍人気絵師に

応挙は40代の頃には多くの弟子を抱えて「円山派」という流派が確立されました。

応挙とは「花鳥画の巨匠に劣らない絵師」という意味

応挙は独自の写生画様式を確立させ、1766年頃(33歳頃)、「応挙」と名乗り始めました。

応挙という名前は、「銭舜挙に応ずる」から来ています。

銭舜挙というのは、花鳥画で有名な中国元時代の画家。彼に劣らない(応ずる)絵師だ、という意味で「応挙」と名乗ったのです。

有名な作品

最高傑作「雪松図屏風」

f:id:fumi23art:20200225170815j:image
雪松図屏風 国宝 1765年 三井記念美術館 国宝 (引用元)

応挙が独自の写生画様式を確立させ、「応挙」と名乗り始めた時代の作品。

遠目に見ると奥行きがあり立体的に見えますが、近くで見ると松の幹などの表現は荒々しく、生き生きとして見えます。

松の木に降り積もる雪がふわふわと浮いて見えるようですが、この雪は塗り残しの地を生かして描かれています。

砂子(金箔を粉状にしたもの)や金泥(金箔を絵の具にしたもの)で奥行きを出しているところも珍しく

この記事を書いた人

簡単にわかりやすい美術史のサイトがあればいいな、と思い制作中。
このサイトを訪れて下さった皆様にとっても有益な情報となるよう日々精進します。

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