琳派とは
- 同傾向の表現方法で描いた絵師の流派
- デザイン的で大胆な構図が特徴
- 風神雷神図屏風は宗達・光琳・抱一により約100年ごとに描かれた
- 光琳は宗達を尊敬。忠実な模写と構図の改変
- 抱一は光琳を尊敬。親しみやすく
風神雷神とは
- 千手観音の眷属(けんぞく・お供の者)
- 雨風や五穀豊穣の神
風神・雷神は、仏教、千手観音の眷属である神々です。もとは古代インドの神でしたが、後から仏教に取り入れられました。
日本で最も古い「風神雷神」は三十三間堂にあります。
俵屋宗達の風神雷神図屏風
琳派の創始者と言われる俵屋宗達が風神雷神を題材に描いたことから、この一連の流れが生まれます。
こちらの風神雷神図屏風、落款や印章はありませんが、宗達の真筆であると言われています。
風神と雷神が画面の両端にはみ出すように置かれた構図が特徴です。三角にポッカリと穴が空いたような構図は、宗達がもともと得意としていた扇絵の構図を元にしていると言われています。
宗達の作品は、動物を描いた作品が多く残されていますが、風神雷神は仏画にあたります。なぜ宗達は風神雷神を描いたのでしょうか?
雷神は松崎天神縁起絵巻を引用
やまと絵の伝統を受け継ぎながら新しく展開したことでも知られる宗達ですが、風神雷神を描くにあたり、様々な古典を勉強して描きました。
宗達の雷神は、宗達より約300年前に描かれた松崎天神絵巻を参考にして描かれたとされています。
巻3の雷神を参考しにして描いたとされています
松崎天神縁起絵巻 作者不詳 重要文化財 1311年頃 山口県防府天満宮蔵
尾形光琳の風神雷神図屏風
光琳は、宗達の風神雷神図屏風、特に輪郭線を驚くほど細密に模写しました。
反対に、構図は光琳の個性が出ており、風神・雷神を綺麗に画面に入るよう、配置し直しました。
宗達は画面の外に広がる空間を意識したのに対し、光琳は枠のなかで綺麗に収まるよう意識したのです。
また、宗達の風神雷神のほうが柔らかい目をしている、雲が黒い、など、他にも少しずつ違いがあります。
酒井抱一の風神雷神図屏風
抱一は「光琳の風神雷神図屏風の裏に絵を描く」という徳川家の依頼により光琳の風神雷神図屏風と初対面しました。
光琳の風神雷神図屏風に感銘を受けた抱一は、様々な作品を模倣し、そして風神雷神図を描きました。
おどろおどろしく描かれた光琳の風神雷神に比べて抱一の風神雷神は人間的でユーモアがあるのが特徴です。
光琳の風神雷神の裏に描かれた「夏秋草図屏風」
先述した通り、抱一は60代の頃、徳川家斉(いえなり)の父治済(はるさだ)の依頼によって、光琳の風神雷神図屏風の裏に絵を描くことになりました。
光琳の風神雷神を見て感銘を受けた抱一は、風神の吹く風によってなびく秋草と、雷神の降らせる雨に打たれる夏草を描いたと言われています。
金箔の地に対応した銀箔の背景や、風神雷神図屏風とは逆向きの逆三角形の構図をとっており、色遣いも、風神・雷神の服装や肌色にそれぞれ対応しています。
外部リンク集
【中級者向け】紡ぐギャラリー 実際に作品を目の前にしてギャラリートークを聞いているような臨場感で作品を鑑賞できます。
【初心者向け】風神雷神図屏風デート 琳派や風神雷神図屏風についての基礎的な知識を独特なメロディに乗せてユーモアに紹介されているのでおすすめです。
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