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概要
生没年 1590年-1651年
時 代 江戸時代初期
居住地 京都
特 徴 水平や垂直を意識した幾何学的構図
代表作 老梅図襖・雪汀水禽図屏風
徳川幕府設立後も京都で活躍した「京狩野」
狩野山雪は「京狩野」の2代目です。
狩野派は、もともと室町幕府の御用絵師ですが、江戸時代になると、徳川氏を頼って江戸に移った多くの狩野派に対して、京都に残った狩野派は「京狩野」と呼ばれるようになります。
山雪の師である山楽は、秀吉に気に入られていたことから、そのまま秀頼に仕え、京都に残りました。
徳川の治める時代ですから、狩野派の本流は当然江戸へ移った狩野派となっていきます。
京都に残った山雪ら京狩野は、豊臣氏の滅後、嫌疑をかけられて投獄されるなど、不遇な扱いを受けることとなりました。
山雪は孤独を好む性格だったとも伝えられています。なんだか生い立ちを考えると納得してしまいます。
日本初の画伝書を書いた
山雪は蔵書家で絵画史研究をしていたらしく、3代目の狩野永納は日本初の画伝書「本朝画史」を書いたことで有名です。
本朝画史は狩野派でよく描かれるモチーフと、その描き方について詳しくまとめられた技法書で、この本が後の狩野派の絵師たちの「お手本」となっていきました。
江戸の狩野派が作ったのではなく、京狩野が作った技法書、という所が興味深いですね。
有名な作品
幾何学的な木の表現が独特!老梅図襖
老いた梅の木が画面に大きく配置された作品。
右端にはピンクの梅が、左端にはツツジが描かれており、季節が早春から初夏へと移り変わる様子を描いたと言われています。
特徴的なのは、この自然にはありえないほど折れ曲がり、窮屈そうに画面に収まっている梅の木。
梅や桜の木々は普通、枠から飛び出してのびのびと描かれます。
【写真】狩野派全盛期の画家・狩野永徳の梅の木。しなやかに、画面にのびのびと収まっており、山雪の梅の木とは全く違うことがわかります。
自然にはありえない、窮屈に、そして幾何学的に描かれた幹の表現は他になく印象的で、山雪の構成力の高さを物語っていると評されます。
また、近くで見ると木の幹から小さな枝がのびのびと生え、可愛らしい花を咲かせていることがわかります。
遠目には老いゆく窮屈そうに見える木から、自由に花を咲かせる様子から、再生を表しているのではないかと言われています。
複製が日本でも見れる
【外部リンク】綴プロジェクト メトロポリタン美術館に所蔵されている老梅図襖のデジタル複製が妙心寺天祥院に寄贈されました。通常非公開ですがたまに特別拝観があるようです。
反対側に描かれた「郡仙図襖」
襖絵には反対側にも絵が描かれていることが多いですが、この「老梅図襖」の裏には「郡仙図」が描かれていました。
アメリカに渡る際、裏に描かれた郡仙図に価値がないと思われたため切り離され、他の美術館に売られたようです。ぜひ合わせて鑑賞したいものですね。
映画「インセプション」に登場!
映画「インセプション」の冒頭、岬にある怪しげな日本家屋の中でのシーンで、老梅図襖が登場します。
この映画は「他人の夢の中に侵入し、偽の情報を植え付ける」という内容。
冒頭の老梅図襖が登場するシーンは、主人公が夢の中に潜入する依頼を受ける場面。
夢と現実とを行き来するという、独特で不思議な本映画の世界観に、老梅図襖の「不自然」な木の表現が一役買っているように見えます。
また、老梅図襖はアメリカの有名な美術館・メトロポリタン美術館に所蔵されているため、外国人がよく目にする日本絵画であり、中でも老梅図襖は有名な作品ですので、選ばれた理由を頷けます。
雪汀水禽図屏風(せっていすいきんずびょうぶ)
(写真) 雪汀水禽図屏風 154×358cm
こちらの作品も有名です。なんだか物寂しさを感じますが、老梅図屏風に比べて広がりのある伸び伸びとした印象です。
(写真)筆者が狩野派にハマっていた時期に買った雑誌。目次の次のページに見開きで山雪の老梅図襖の写真が載っています。
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