長谷川等伯とは?有名な作品などわかりやすく解説します

江戸時代

概要

生没年 1539-1610年
時 代 安土桃山から江戸時代初期
居住地 石川→京都
分 類 長谷川派
特 徴 優れた色彩感覚・斬新な構図
代表作 松林図屏風

七尾(現在の石川県小島町付近)の生まれ。情勢不安や身内の相次いだ不幸を理由に上洛し、はじめは地方出身の町絵師というような扱いでしたが、千利休に重用されることで、のちに狩野派を脅かすほどの人物となりました。

千利休と出会い一躍有名に

地方出身の長谷川等伯が狩野永徳に一目置かれるほど一躍有名となったのは、千利休との出会いが大きく関係します。

熱心な日蓮宗の信者だったと言われる等伯は、京都へ上洛した際、信仰していた寺の本山である本法寺を頼り、制作活動をしました。

そこで本法寺の住職をってとして様々な商人たちと盛んに交流する中で、千利休と出会いました。

千利休像 長谷川等伯 1595年 不審庵 (引用元)

等伯の腕を買った千利休は、大徳寺の金毛閣の天井画を等伯に依頼したことにより、等伯は一躍有名となりました。

“成り上がり”の天才 長谷川等伯の本質
能登から上京し、実力でのし上がって豊臣秀吉に重用され、時代の寵児となった等伯。作品からは野心家の部分とは異なる、もう一つの素顔が垣間見られる。

【外部リンク】Wedge ONLINE “成り上がり”の天才 長谷川等伯の本質 大徳寺の天井画の写真が掲載されています。

この頃等伯は50歳。遅咲きの絵師でした。

祥雲寺壁画で狩野派の脅威となる存在に

千利休の後ろ盾により一躍有名となった等伯でしたが、大きな仕事の依頼が来ても狩野永徳の権力によって阻止され、狩野派に持っていかれていました。

形勢が変わったのは1591年。豊臣秀吉の息子・鶴松が亡くなった弔いのために祥雲寺(現在の智積院)を建てるにあたって、その障壁画を描くという依頼でした。

これまで権力を持っていた狩野永徳が前年の1590年に急死したことで、狩野派が一時的に勢力が弱まっていたため、このような大きな仕事を得ることができました。

長谷川等伯はこの障壁画で秀吉の満足する障壁画を描き、重用されるようになりました。

弟子に恵まれず繁栄しなかった長谷川派

狩野派に匹敵するほど勢力を伸ばした長谷川等伯一派でしたが、良い後継者に恵まれず、狩野派に勝る派閥とはなり得ませんでした。

有力な後継者で等伯を凌ぐほどの実力があると言われた長男の久蔵は祥雲寺の桜図を制作した後亡くなり、後継者となった次男の宗宅も等伯の亡くなった翌年に没してしまいます。

その後は三男の左近が長谷川派を引き継ぎ、多くの弟子を抱えていたものの、等伯に勝るような作品は生まれず、長谷川一門は繁栄しませんでした。

牧谿を思わせる湿潤な空気感

等伯は若い頃は、七尾(現在の金沢県付近)で仏画や肖像画を多く描いており、京都に上洛してから狩野派や牧谿、雪舟の画風を学びました。

なかでも中国の絵師 牧谿の影響が強く、牧谿の画風のようにしっとりとした空気感のある水墨画は等伯の特徴の一つです。

松林図屏風 1593-1595年頃 東京国立博物館蔵 国宝 (引用元)
牧谿(もっけい)とは何者?特徴や有名な作品などを詳しく解説!
概要生没年  不詳時 代  南宋(1127-1279年)末期から元初期居住地  中国分 類  水墨画・唐絵代表作  観音猿鶴図・瀟湘八景図特 徴  湿潤な空気感・大胆な筆遣い与影響  長谷川等伯など牧谿は、13世紀後半の中...

また、牧谿の猿は、何度も筆法をまねて描いたと言われています。

枯木猿猴図(左部分) 長谷川等伯 龍泉庵 (引用元)
観音猿鶴図 牧谿法常 13世紀後半 大徳寺蔵 (引用元)

比べて見るとそっくりなことがわかります。

有名な作品

有名絵師の仲間入りをした作品・祥雲寺(智積院)障壁画

祥雲寺(現智積院)障壁画 うち「楓図」 1593年頃 智積院蔵 国宝 (引用元)

若くして亡くなった秀吉の息子・鶴松の弔いのために建てられた祥雲寺の障壁画。日本の障壁画の最高傑作とも呼ばれています。

金箔や銀箔を貼り豪華で力強い画風は織田信長や豊臣秀吉が特に好んだ画風で、狩野派の典型的な画風でもあります。

狩野派を凌いで依頼された等伯は意気込み、狩野派の画風で見事に描きました。

真ん中に楓の木を大きく配置した狩野派風の大胆な構図ながら、葉や花など細かい部分は狩野派より自然に、繊細に描かれており、等伯の繊細な表現を見ることができます。

祥雲寺障壁画は楓図と桜図があり、桜図は等伯に勝る画力とも言われた息子・久蔵が手掛けました。

長谷川久蔵 桜図
桃山時代の日本の伝統美術の復元、大胆な構...

楓図はその桜図と呼応するような構図をとりつつも、楓の花を赤と緑の対比で美しく華やかに描き、豊臣秀吉を大変満足させたと言われています。

空気感が美しい水墨画の最高峰・松林図屏風

松林図屏風(右隻) 1593-1595年頃 東京国立博物館蔵 国宝 (引用元)

日本水墨画の最高傑作と言われる作品。

「松林図屏風」は、彼の牧谿からの影響を受けた作品の中でも特に秀逸な作品として知られています。

墨だけで、しかも荒々しく描かれた白黒の絵にもかかわらず、まるで画面の中に入り込んでしまったかのようにしっとりと霧の立ち込める空気感や、無限のような空間の広がりを感じられます。

等伯はこの作品を描くために、藁でできた筆や、洗わずに硬くなってしまった筆を使って粗さを表現したと言われています。

もっと詳しく知りたい人は…

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【外部リンク】京都で遊ぼうアート 長谷川等伯

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