俵屋宗達とは何者?特徴から代表作までわかりやすく紹介

江戸時代

概要

鶴下絵三十六歌仙和歌巻重要文化財 俵屋宗達下絵・本阿弥光悦書 34.1×1300cm 京都国立博物館蔵

人 物 やまと絵を新しく展開した
生没年 ?-1640年
時 代 江戸時代初期
居住地 京都
分 類 琳派
代表作 風神雷神図屏風
特 徴 特異な構図・優れた色彩感覚
技 法 たらし込み

江戸時代の京都で料紙の下絵などを製作

宗達については、残された作品以外の記録は多く残されていません。ただ、絵師になる前は料紙(りょうし)の下絵や扇絵(おうぎえ)などの紙製品の制作・販売をしていたとされています。

料紙とは、装飾された和紙のこと。料紙は平安時代の貴族文化で栄え、一度衰退しますが、江戸時代の京都で再熱しました。

京都国立博物館
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宗達が下絵を描いた料紙の上に本阿弥光悦が書を書いた作品。写真ではわかりにくいですが、この鶴は銀泥で描かれています。鶴の群れが海を渡り、岸辺で羽を休めるまでの長い飛翔を、宗達はほぼ鶴のみで描きました。

そのシルエット・筆遣い・デザインセンスは、現在も他に類を見ない傑作として残っています。

やまと絵を新しく展開

江戸時代初期の絵画界は唐絵が上位の時代で、宗達が描く草花絵や日本の物語絵といった「やまと絵」は格が低いものでした。(日本が唐の威厳を借りて政治を行なっていたため)

そのため、もともと宗達の作品はあまり上位職者に好まれる絵ではなかったようです。

しかし、京都では平安時代のような伝統的な貴族文化への憧れがあり、やまと絵の流れを汲んだ宗達の絵は京都の豊かな上層の町人たちに好まれました。

晩年は宮廷関係者からも注文を受けていたようです。

「琳派」の創設者

宗達は琳派の創設者として知られていますが、宗達自身が弟子を取り琳派という流派を作ったわけではありませんでした。

宗達の作品を目にした後世の複数の絵師たちが、実際に会うことなく宗達に私淑し、琳派とよばれるようになったのです。

実際の師弟関係もなく繁栄した琳派という流派は世界的にも珍しく、それだけ俵屋宗達が時代を超えても人々を魅了する絵師であったことがわかります。

琳派とは?わかりやすく解説
概要尾形光琳 紅白梅図屏風 MOA美術館時 代 17世紀中頃~19世紀 断続的に継承桃山時代〜近代地 域 江戸・京都創始者 本阿弥光悦・俵屋宗達発 展 尾形光琳・酒井抱一流 れ やまと絵特 徴 断続的に継承された流派装飾的...

代表作「風神雷神図屏風」

風神雷神図屏風 伝俵屋宗達 154.5×169.8cm 二曲一双 建仁寺 国宝

宗達の最も有名な作品である風神雷神図屏風は、たらし込みの技法と宗達独特の巧みな色彩表現によってスタイリッシュに描かれました。

この作品は後世の琳派に大きい影響を与え、特に尾形光琳・酒井抱一は、それぞれ宗達の作品に深い感銘を受け、模倣しました。

風神雷神図屏風を鑑賞する際には、ビジュチューンの「風神雷神図屏風デート」という曲は、琳派や風神雷神図屏風についての知識を独特なメロディに乗せてユーモアに紹介されているのでおすすめです。

「たらし込み」の技法

たらし込みは、色(または水)を塗った上から、乾かないうちに他の色を塗る、という技法です。

有名な風神雷神図屏風では、風神・雷神の乗る黒雲を、銀泥と墨のたらし込みにより表現しました。

優れた色彩感覚

また、宗達は優れた色彩感覚の持ち主としても知られています。

「風神雷神図屏風」で宗達は、風神を緑、雷神を白で描きましたが、普通、風神雷神は赤と緑(もしくは青)の組み合わせで描かれます。

少しわかりにくいですが、浅草の雷門の風神雷神様は赤と緑です。

赤と緑(もしくは青)という色の組み合わせは色相環でいうと補色色相に当たる色で、目立ちますが奇抜な色の組み合わせです。

宗達は緑の風神の相方に、あえて同一色相である白を使うことで、調和や均整を感じさせる配色に成功しました。

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